昨日の現代メディアで、『じつは起こり得る…南海トラフ巨大地震と首都直下地震の「連動」がやってくるかもしれない』と題した記事があり、この「じつは」に違和感を抱いたので、その理由を説明する。
■南海トラフ→首都直下
この講談社サイトの記事は、東京都知事政務担当特別秘書の宮地美陽子氏による執筆。
この人による新刊『首都防衛』(講談社現代新書)の内容の一部を紹介する記事。
本自体はまだ出版前で、08/23出版予定となっている。
この記事では、下記の南海トラフ→南関東の大地震連鎖を例に挙げている。
・1854/12/23:安政東海地震→(翌日)→安政南海地震→(翌年)→安政江戸地震
■大連動の例
私は以前から「大災害シリーズ」と呼んでいるが、南海トラフ巨大地震、南関東(首都)直下地震、富士山噴火といった大災害は、10年20年のタイムスパンの中で集中して起こる(連動する)傾向がある。
そのため、「じつは起こり得る」ではなく、「1つが起きたら次も」とデフォルトで考えるべきなのだ。
以下に、南海トラフと南関東直下の地震が10年以内くらいに連動した例を示す。
◎貞観期 864~888 24年間
【南関東】878年10月28日:相模・武蔵地震、M7.4、犠牲者多数。
【南海】887年8月22日:仁和地震(全域説)、M8.0〜8.5。
◎永正期 1495~1520 25年間
【南関東】1495年09月03日:相模トラフで大地震・津波(南関東)
【日向灘】1498年06月30日:日向地震、M7~7.5、犠牲者多数。
【南海】1498年09月11日:明応地震(東海道沖の巨大地震)、M8.2~8.4、犠牲者3万~4万人以上
◎天正・慶長期 1585~1615 30年間
【南海】1605年02月03日:慶長地震(南海トラフ津波地震説他)、M7.9~8、犠牲者1万~2万人。
【三陸沖】1611年12月2日:慶長三陸地震(M8.1)、犠牲者2千~5千人
【南関東】1615年6月26日:相模・江戸(M6.2~M6.7)、小田原、江戸で被害。
◎宝永期 1700~1708 8年間
【南関東】1703年12月31日:元禄地震、M8.1~8.2、犠牲者4,900〜2万人以上。
【噴火】1706年:浅間山噴火
【南海】1707年10月28日:宝永地震(南海トラフ全域)、M8.4~8.6
【富士山】1707年12月16日:富士山宝永大噴火、VEI5。
◎安政期 1843~1856 13年間
【南海】1854年12月23日:安政東海地震(M8.4)、犠牲者2千~3千人。
【南海】1854年12月24日:安政南海地震(M8.4)、犠牲者千~3千人。
【三陸沖】1855年09月13日:陸前(M7.2~M7.5)。
【東海】1855年11月07日:遠州灘(M7.0~7.5)、津波有り。
【南関東】1855年11月11日:安政江戸地震(M7.0~M7.1)、犠牲者4,700~1万1,000人。
■現在は?
では、現在は南海トラフ巨大地震と首都直下地震は起こり得るのか?
私のブログやnoteマガジンを購読されている方はおわかりだと思うが、現在はその「兆候」はみられない。
そのような兆候が見られる際には、私の単独のnoteマガジン『大地震・災害前兆ウォッチマガジン』で真っ先に紹介するだろう。
それ以前に、もう一つの明菜さんのnoteマガジンの方で、何らかの情報が得られているかもしれないが。
南海トラフ巨大地震がいつ起きるかについては、これまでの私の研究の結果を下記のKindle本『南海トラフ巨大地震はいつ起きるか?』で解説している。
※やっと当たりにたどり着けたか?