過去のブログ記事を探していて、14年前の今頃にインドネシア・ジャワ島にダウジングの指示で「聖地巡礼」したことを思い出したが、帰国の翌月にジャワ島沖とスマトラ島沖で大きな被害地震が起きた。
このようなことは自分の聖地巡礼では頻繁に起きることで、その意味を再度考えてみたい。
■聖地巡礼の指令
14年前2009年にインドネシア・ジャワ島に「聖地巡礼」が決まったのは、いつものように聖地巡礼先をマップダウジングで「うしろの存在」に伺った結果だった。
ジャワ島といえば、1994年からのべ1年半ほど、SEとして東ジャワに派遣されて働いていた。
2009年5月、まだSEとして働いていた頃、夏休みの聖地巡礼先を伺って、ジャワ島の何カ所かと出たが、「なぜインドネシア?」と、理由がまったく不明だった。
そして、2009/08/06~12の7日間のジャワ島の旅となった。
海外渡航は慣れたもので、成田-(台北経由)-ジャカルタ往復5万円の格安チケットを購入した。
■ジャワ島行き
聖地巡礼先も、「お伺い」を立てた結果だった。
今回導かれた聖地は、以下の9箇所。
(1)カラン・ハウゥ(プラブハンラトゥ、西ジャワ)
(2)インナ・サムドゥラビーチホテル308号室(イブゥラトゥに捧げられた部屋、プラブハンラトゥ、西ジャワ)
(3)パランクスモ(パラントゥリティス海岸、中部ジャワ)
(4)タマンサリ(水の宮殿、中部ジャワ)
(5)プランバナン寺院群(世界遺産、中部ジャワ)
(6)ボロブドゥル仏教遺跡(世界遺産、中部ジャワ)
(7)クラトン(王宮、ジョグジャカルタ)
(8)Triyana Dharma Center(チベット仏教寺院、スラバヤ)
(9)仏教寺院(Taman Hiburan Pantai Kenjeran、スラバヤ)
過去に海の女神「南海の女王」カンジェン・ラトゥ・キドゥルにご縁ができて、最初の4ヵ所はその女神さまの関係だった。
(3)パランクスモにて。
南海の女王の海の宮殿のアルンアルン(正門)とされている。
そして予定通りに西ジャワ→中部ジャワ→東ジャワの聖地を周って帰国した。
(5)プランバナン寺院群
■2つの大地震
帰国後3週間ほど経った日のことだった。
西ジャワの南沖でM7.0の地震が起こり、130人が犠牲となる大きな被害地震となった。
2009/09/02 07:55UTC:インドネシア、西ジャワ・Banjar北北西66km、ジャワ島西部地震、M7.0、犠牲者・行方不明者約130人。
その月には、今度はスマトラ島北部西沖で、より甚大な被害地震が発生して、1115人が犠牲となった。
2009/09/30 10:16UTC、スマトラ島沖地震、Mw7.7、犠牲者1115人。
最初のジャワ島西部地震の震源は、1ヶ月ほど前に聖地巡礼した西ジャワのプラブハンラトゥから130kmほどの近場だった。
しかも、そこは海の女神の最高聖地だった。
ここで、突然にジャワ島へ行かされた理由を悟り、いたたまれない気持ちになった。
特にスマトラ島沖地震 (2009年)は、歴史に残る甚大な被害地震となった。
■役割が変わった
このようなことは、「使われている人」あるあるなのではないか。
「これだったのか…」と悟った時には遅すぎて、もっと深い祈りを各地で行うべきだったと後悔するのだ。
その後、このような聖地巡礼に行かされる機会は少なくなった。
思うに、今生の後半では、地震の研究を行うことへ「役割」が変わっていったのではないか。
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クロス2枚付き。