昨日12/18に日向灘でM5.4・最大震度4の地震が起きて、特に被害はなかったが、問題は大地震が多発するこの震源域で、後発でM7クラスなどの大地震が続く可能性はどれくらいあるだろうか。
過去事例を参照して考えてみた。
■日向灘M5.4
昨日は家族と外出していたのと夕方から頭痛でダウンして、日向灘の地震の詳細を書くことができなかった。
この地震の詳細は、下記の12/18の第1報の記事で書いたので省略する。
この記事で書いたように、政府の地震調査研究推進本部が今年2022年3月25日に発表した今後30年以内の発生確率は、日向灘ではM7.0~M7.5の地震が発生する確率は80%程度としている。
過去1919/01/01以降の気象庁の震度データベース検索で見ると、日向灘でこの102年間でM6.0以上の地震は26回、うちM7.0以上は5回起きていた。
最大は1968/04/01のM7.5、最大震度5の日向灘地震で、犠牲者1人の被害地震だった。
もっと遡ると、1662/10/31の「外所(とんどころ)地震」(推定M7.6)では、多数の犠牲者が出て、城や多数の家屋の破損や山崩れが発生した。
記録史上最大級の高さ4~5mの津波も発生した。
■大地震の頻度
1919年以降に発生した地震の頻度を見ると、M6クラス以上は4年に1回、M7クラス以上は20年に1回程度となる。
より小規模の、M5クラス以上の地震は、この102年間で下記の回数の地震が起きていた。
1919/01/01~2022/12/19
日向灘:M5.0以上:144地震
日向灘:M5.0以上 + 最大震度4以上:37地震
この震源域では、通常はM5クラス程度の地震の後でM7クラスの大地震が続くことは稀だ。
M7クラスの後でM5前後の余震が起きることは多い。
■「前震」のケース
上で、M5~M6クラスの地震が、より大規模な地震の「前震」となった例は稀だと書いたが、どれくらいあっただろうか。
たとえば、以下の地震がある。
1931/11/02 03:53:日向灘、M6.0、最大震度3、深さ4km
1931/11/02 19:02:日向灘、M7.1、最大震度5、深さ28km、犠牲者2人
1941/11/14 06:33:日向灘、M5.6、最大震度3、深さ54km
1941/11/14 10:50:日向灘、M5.2、最大震度3、深さ15km
1941/11/19 01:46:日向灘、M7.2、最大震度5、深さ33km、犠牲者2人、津波1m
1960/11/07 22:23:日向灘、M5.6、最大震度3、35km
1961/02/27 03:10:日向灘、M7.0、最大震度5、37km、犠牲者2人
この102年間で最大の地震は前述のように1968/04/01のM7.5だったが、この地震は前兆となる地震はなく、Mクラスがいきなり起きた。
日向灘では、このような地震も起きるので、注意が必要だ。
今回は上記のような例ではないが、今後短期間の間にM6~M7クラスの大きな地震が起きないとは限らないので、特に九州地方の方々はご注意を。
※消火器があると無いで、火災で家が消えるかどうかの分かれ目になることも。