スズさんが今日の「災害の夢ブログ」で、和歌山と沖縄で地震が気になると言っていて、最近ではこういう言及は珍しい。
また昨日は昭和東南海地震から77年の日で、静岡の小学校では古老による体験が子供たちに語られたが、南海トラフ巨大地震の被害について考える良い機会なので紹介する。
■スズさん
まず、『災害の夢ブログ』のスズさんの記事から。
昨夜2021/12/07 21:15の「地震、、。」と題した記事。
ここでスズさんは、こう書いている。
今は和歌山と沖縄が少し気になっております、、。
最近は災害関連の内容が非常に少なく、遡ると10/28に「津波の夢、、。」と題した記事がある。
朝方、霊感の強い娘さんが、津波の夢を見たという。
もちろん、その後にまだ津波は発生していない。
この日には、三重県(津市)と沖縄のあたりが気になると書いていた。
11/11に沖縄本島近海Mで6.6と、12/3に紀伊水道でM5.4の地震があったが、昨日の記事でも書いているということは、これらではないようだ。
この2つの地域は、しばらく注意した方が良いだろう。
■オレゴン州沖で最大M5クラス
今日は米国オレゴン州沖でM4~M5クラスの地震が、19:00時点で41回も起きている。
過去120年間で、オレゴン州沖ではM6クラス止まりで、最大で1910年と1914年のM6.8。
しかも、ある程度の沖合で、津波を伴うほどの規模でもない。
そのため、たとえM6クラスまでの地震ならば、米国在住の人々もそう心配することもなさそうだ。
ただし、12/8 7:21にオレゴン沖で初めてM4.2の地震が起きて、その後16:22に福島県沖でM5.0、最大震度3の地震が起きている。
この同緯度の連鎖が、まだ終わらない可能性もあるので、東日本の大平洋沖は念のため注意を。
■昭和東南海地震の生存者
昨日12/7は(昭和)東南海地震の発生から77年。
SBS静岡放送で、貴重な番組があった。
「本当に悲しい目に遭いました」東南海地震から77年 語り部は(静岡県)
静岡県袋井市の袋井西小学校では、この地震で校舎が倒壊し、児童20人が犠牲となった。
この12月7日の昭和東南海地震の日に合わせて、当時の生存者だった古老2人が子供たちに体験談を話した。
85歳の男性は、倒壊した校舎の下敷きになった経験を語った。
当時は8歳くらいだっただろう。
近くにいた子供たちの「助けて、助けて」の声が今でも耳から離れないという。
それで、「みんな諦めずに生きよう」と伝えたくて、歌を歌ったそうだ。
この地震は、13時36分に発生し、約95秒間揺れが続いた。
このような尋常ではない長時間の揺れでは、大地震だと思って一目散に避難すべきだ。
避難といっても、小学校の授業中ならば、まず机の下が避難先だ。
この古老も、机が無いことが「命取りになる」と語っている。
こういう大災害の経験者の体験談は非常に貴重なものだ。
当時は国民学校だった袋井西小学校は、南方の海辺から約9kmの位置。
さすがに津波は到達しなかったのだろう。
この地震では、津波の高さは8~10mあったという。
そして、1223人の命が失われた。
この時は第二次大戦中であり、このような巨大地震が起きたことは、国民に詳細には知らされなかった。
地震の翌日の新聞は「真珠湾攻撃から3年目の記念日」を大きく報じて、地震の発生は最下部に数行だけ短く書かれただけで、具体的な被害の詳細は書かれていなかった。
1945年前後にかけて、4年連続で1000名を超える犠牲者を出した4大地震(鳥取地震、三河地震、東南海地震、南海地震)が起きた。
このように、歴史を通じて騒乱と自然災害はシンクロしてやってくることが多い。
まるで天の怒りであるかのように。
本当に嫌なものだ。
どんな理由があろうとも、私は絶対に「肯定」しない。
※10/7の千葉県北西部地震でPCラックの上のものが崩れ落ちてきて大変だった。
その教訓を得て、こういう耐震ベルトをAmazonで購入した。
倒壊・落下して人を傷つけるような物には必須。