徳島新聞で、『あなたは「逃げられる」と思ってますか?』と題した連載記事があり、津波に襲われる危険性がある土地で「もしも」を考えないとどうなるかについて深く考えさせられる内容だ。
■「災害時の心理を考える」
この徳島新聞電子版の連載記事は、「災害時の心理を考える」という主旨のもの。
終戦直後の昭和21年に起きた南海トラフ巨大地震である昭和南海地震(1946/12/21、M8.0)では、地震と津波で1,443人の犠牲者・行方不明者が出た。
この時、徳島県海部郡牟岐町にいた2人の少年は、あやうく津波に呑まれるところを助かった。
2人とも代々続く漁師の家に生まれたが、牟岐町に津波が来るとは聞いたことがなかった。津波の記憶の継承を、口伝に頼る時代だった。
第二次世界大戦が終戦した翌年で、戦時中はまともな教育は受けていなかっただろう。
この日、少年たちの母や妹も含めて、52人の人々が犠牲になった。
この記事のため、徳島新聞の記者が牟岐町を訪れた。
そして、津波の体験者たちから、次のような言葉を聞いた。
「津波が来ると知らなかった」
「まだ大丈夫と用事をした」
「病人がいて動けない」
■津波の知識をもつ
2004年のスマトラ島沖地震では、そもそも津波とは何かを知らない欧米人たちも犠牲者に多かった。
75年前の牟岐町の人々は、さすがに津波とはどういうものかは知っていただろう。
だが、自分たちが住む土地まで津波が来るとは思ってもいなかった。
たとえ思っていた人々でも、「いますぐは来ないだろう」といった油断があったのだろう。
だが、いま徳島県の海沿いに住む人々は、大地震で津波が起きた場合の津波到達時間を知らない人はいないだろう。
たとえば徳島県の資料では、牟岐町は地震の11分後頃に津波の影響が始まり、最大波は52分後に訪れるという。
このように、四国の南岸あたりでは津波の到達が速く、一刻の猶予もない。
■「もし」を考えない行動は?
前述のような当時の子供ならば、津波に対する十分な知識が無くても仕方ない。
だが、今を生きるわれわれは、小学生でもそのような教育を受けなければならない。
また、親たちが地震や津波の恐ろしさを教えなければならない。
秋田県の明菜さんは、よく「もし」を考えた行動をと訴えている。
ちょうど5/2のブログ記事でも、大切なことは「もし…」を考えた行動であり、「今まで大丈夫だったから」は間違いだと書いている。
明菜さんが言うところの「もし」を考えた行動を取るというのは、どういうことだろうか?
自分なりの解釈では、災害発生時に最悪の事態を想定しておくということだ。
どんなことが起きても、「想定外だった」などと言わないことだ。
大地震・津波・水害などの災害で被災して危うく一命をとりとめた人々から良く発せられる言葉は「こんなことが起きるとは思ってもいなかった」というようなことだ。
だが、今は政府や自治体がその土地で起こり得る最悪の事態も含めた想定をしてくれているのだから、そのような情報を知らなかったでは済まされない。
■花は咲く:3.11の記憶
前述の、明菜さんの体験をまとめた動画を、『花は咲く:3.11の記憶』と題して、今年の東日本大震災の記念日に公開した。
この動画は、私が投稿した動画にしては珍しく、高評価が85個もついている割には、低評価が0となっている。
それだけ、この内容に心を打たれた人が多いということではないか。
■お願い:津波体験
みなさんのなかで、自分や家族や知り合いが、災害発生時に「正常性バイアス」に捉われて危うい目に遭ったといった体験をされている方は、教えてください。
研究に役立てたく、また公で知らせた方が良いと判断したものは、許可を得て個人情報を一切伏せて紹介させていただくかもしれません。
下記へメールで送ってください。
■北海道まだ注意
今日は北海道でM4クラスの地震が続いた。
18:00時点のイオノグラムを見ると、稚内がかなり派手に出ている。
まだ同程度または大きめの地震が続くのだろうか。
また、私の体感は、昨日に続いて今日も頭痛が続いていて、夕食後に頭痛薬を飲んで様子見。
※黒にんにくが切れそうなので、今度はこれを買おうと思う。
「訳あり」では美味しい方。