今日TOCANAに掲載された私が執筆した記事では、いわゆる占星術の領域に入ることを科学者が大真面目に研究したことで、これが本当ならば占星術の主張の一部が正しいことになり、現代の自然科学がひっくり返るような内容だ。
■秀でた水泳選手は「うお座生まれ」?
今日のTOCANAの記事は、『【東京五輪】池江璃花子の金メダルは“星座”で確定している!? 競泳選手の「水の星座」効果はガチ、科学的データ分析で驚愕の事実判明!』と題したもの。
内容は、もちろん私が書くことだから大真面目な(?)ものだ。
一言でいうと、オリンピックなど世界大会でメダルを獲得する水泳選手は、「うお座」生まれの人が多いというもの。
そして、私が日本の選手で検証したところ、新たな傾向も見つかった(かもしれない)。
まず、下記のTOCANAの記事を読んでみてください。
■メイフールネタではない
トカナで書いたように、五輪など世界大会でメダルを獲得するような秀でた水泳選手の多くが「うお座生まれ」ならば、あまりにもできすぎた話だ。
しかも、私が原稿を書いているうちに新たに気が付いたのは、「水の星座」で生まれている選手も多くいること。
これも、本当ならば出来すぎだ。
明日が5月1日だから、1ヵ月遅れのエイプリルフールネタじゃね?と思う人もいるかも。
すでに書いたように、この研究者も私も大真面目です。
経歴が長い統計学者が、こんな多くの人々にバカにされるような研究を軽い気持ちで行うとは思えない。
よほどの自信があるのではないか。
私は以前から東京オリンピックの開催には反対で、また私の周囲の見える女性たちは五輪は中しかまたは無観客と口を揃える。
それでも、白血病を乗り越えた池江璃花子さんには頑張ってほしいと思っていて、それならば水泳だけ開催してもらうとか?
…というわけにも行かない。
■「秀でた」のくくりが重要?
この手の研究は、これまでもTOCANAなどで紹介してきたし、また自分でも若い頃はよく研究していた。
故ミッシェル・ゴークラン氏の研究も有名で、これはかなり入れ込んでいた。
ただし、この人の研究の場合は、たとえ正しいとしても占星術の主張の一部が正しいと証明されるわけではない。
あくまでも、「占星術的法則(傾向)」があることがわかるだけだ。
ゴークラン効果でも、今回の「うお座効果」でも、言えるのではないかということは、あくまでも、ある分野で「秀でた」人々にそのような傾向が見られるということだろう。
たとえば、私が今回行った日本の競泳選手の調査にしても、統計的に有意になるようにと、選手の数を増やしていっても、あまり顕著な結果とならないのではないか。
いままでの経験から、そのような見当づけをしている。
とはいっても、自分の本業というかメインの研究は地震関連であって、占星術に関連したことを本腰を入れて研究する余裕は、今生ではもうないだろう。
伝統的な占星術の主張が正しいと信じている方々などで、このようなデータ解析や統計学の素養がある人は、ぜひやってみてはいかがだろうか。
■占星術は正しいか?
一般的に「うお座生まれ」とか「おうし座生まれ」というのは、出生時の太陽が黄道上の360度中の30度に分割された「うお座」や「おうし座」の範囲内にあったということだ。
他にも占星術では10個あるいはそれ以上の「惑星」(天体)を扱い、たとえば「私は月がうお座にあります」といった場合は、出生時のうお座の位置を示している。
占星術では、太陽が自我など個人の外面的な性格などを表すのに対して、月は感情や情緒などを表すとされている。
私自身の占星術に対する態度は、もちろんアプリオリ(先験的)に肯定したり信じたりするわけではない。
では、全くそのような法則性がないかというと、それもあまり考えにくい。
生まれた時の太陽や月の位置による人間の精神的傾向などは、大雑把な傾向としては、あるかもしれない。
だが、
■客観性が大事
こういうことを真剣に探求するならば、あまりのめりこんでいる人ではなくて、やはりある程度の「客観性」をもって物事を見ることができる人ということが必須条件ではないかと思えてくる。
そうでないと、コンピュータの世界のように0か1かの論議で終始してしまう。
だが、たとえばサビアン占星術のように、360度のうちの1度単位で細かい定義があるようなものは、ちょっと考えにくいなと思う。
アルバート・アインシュタイン博士は、「神はサイコロを振り給わず」と語った。
それに倣って言えば、「神は天に境界を引き給わず」ということになる。
私が行っている、天体配置による地震発生の傾向や、日食・月食と大地震発生の関係なども、「占星術的法則」と一部でも重なる部分があるが、だからといって占星術を検証するためにやっているわけではない。
私はどちらかといえば、西洋占星術よりもジョーテティシュ(インド占星術)に関心がある。
というのも、インドの聖者たちが作り上げていった部分が多く、より「霊感」にもとづく部分が大きいと考えているからだ。
だいぶ長くなってしまったが、占星術に関しては容易に白黒をつけられる領域ではなく、今後も余裕がある限りは探求していきたいものだ。
※あー懐かしい。あれから35年も経ったか。